黒猫瓦版

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先代ロッタに捧ぐ二代目カノンの物語

20年前のこと

昨夜は睡魔に負けて寝てしまいました。
勿論爆睡。
20年前の朝も爆睡でした。
大きな揺れで家族4人が目覚めました。
メマイをしている様な中で余震があり、更に恐怖が増しました。
テレビを付けると神戸や淡路の惨状が映し出されていました。
小5だった娘は恐怖で父親の腕の中から離れようとしませんでした。
母親の私よりは安全と判断したのでしょうね^^

当時マンションの5階に住んでいましたが、
揺れが南北であった所為か、東西に置いていた家具が倒れることもなく、
お茶碗が2.3ケ落ちて割れた程度でした。
8階建ての建物は1階の階段がもう一段出来たような形で
セメントが盛り上がっていました。


この年は年始早々、私は入院手術を宣告されていて(命に関わるような重病ではない)
そのことで頭がいっぱいでした。
そんな折、娘の同級生のお母さんが33歳という若さで、くも膜下出血で急逝したのです。
年末に外で出会って立ち話をした時は元気だったのに・・・ショックでした。
確か地震の前日がお葬式だったと記憶しています。
彼女のことは忘れられません。
(彼女もお子さん3人で、私の母がやはり3人の子どもを遺して逝ったのが35歳と
近い年齢だったので、とても印象に残っています)


そして前年に待望のビリー・ジョエル公演のチケットを手に入れていて、
18日を楽しみにしていました。

そこへ大地震です。
手術なんてどってことない、受けられるだけで幸せだと思いました。
ビリーは余震の恐怖、被災された方の悲しみを思うととても楽しむ気にはなれませんでした。
(公演はありましたが、チケットの払い戻しもありました)

20年前の1月はこういう状況でした。

結局、病院の混乱を避けて3月に入院し、案ずるより産むが易しを実感致しました。
当時尼崎市に住んでいた旧友のお母さんが、震災時にタンスで怪我をしていたにも関わらず、
私の心配をしてお見舞いに来てくださったのが嬉しかった。
浪人していた息子が合格通知を持って来たことも。

退院前日には「地下鉄サリン事件」が起こり、ベッドでニュースを見たものです。

それから夏が来てロッタが家族の一員になりました。



今はカノンが我が家を席巻しています。
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十年一昔、二十年はふた昔?
この間の社会の変化は驚くばかり。

私がパソコンで遊ぶようになるのはまだ3.4年先。
ブログなんて言葉も知りませんでした。




                 ♪本日もお越しくださいましてありがとうございます♪


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Commented by tarohanaazuki at 2015-01-17 21:58
ホントに大変な年だったんだね!
不幸がてんこ盛りみたいだけど、手術が上手くいったり、息子さんの合格があったりと、「幸と不幸はあざなえる縄のごとし」って言葉通りだ!!
振り返ってみたら20年なんて、ほんの一瞬みたいな気もするけど、同時に長かったなあとも思えるね。
家を失い家族を失った人達の20年は、どう感じてるのだろう?
出来るだけ穏やかな毎日が送れたら、それ以上は望まないよね。
Commented by canomama at 2015-01-17 23:38
♪あずきのばあばさん♪
被災していたらこんな悠長な文は書けないと思う。
たまたまその時は幸いだったけど、明日は我が身かもとも・・・。
有難く生きないとね。
この後もそりゃあ色々と・・・(^^ゞ
Commented by baillement27 at 2015-01-17 23:38
 阪神大震災、私的には全くと言っていい程、生活レベルが変わらなかったのであまり思いがなかったのですが、あの1ヶ月後くらいに神戸に行こうとしたら、西宮で電車が止まっているので3時間くらいかかってびっくりしました。
 バスを乗り着いで行く私に、芦屋や地元の人が非常に優しかったのを覚えています。そして大阪⇄神戸と100kmも離れていないのに景色が違っていることにもびっくりしました。
 今はインターネットで色々読めるので、被災経験等を読むと、生きながら火事で亡くなった人も何百人もいたと聞いて、知らなくてすいませんでしたと思うばかりです。

 3年前の大震災の方が、一人で東京に住んでいたし、思いがあるかな。東京の人が思ったより地震を怖がった事や、電車に乗れずに寒さの中、知らない人と話したりしながら電車に乗って、深夜に帰宅した事、テレビをつけたら津波で沢山の人が亡くなったって聞いた時のショックは忘れられません。次の日コンビニに食べ物がなかったことや、何日間か、電車に乗るのだけでも大変な苦労をしたことなど思い浮かびます。
 
 今はテロか・・・。フランス政府もテロと戦うって言ってるけど、大震災経験してみたらいいねん・・・戦争したい人って。と思ってしまいます。
Commented by canomama at 2015-01-18 00:00
♪バイエちゃん♪
私が入院してた病院付近は活断層の上に建っているようで、アチコチ傷んでいて、
2階の廊下の裂け目から1階が見えてたよ。
被災者が入院していて、痛ましく思いました。
人伝に「助けて~」という声が耳に残っているとか聞いて、
実感したのを覚えているわ。
そう3.11の時は東京だったね。想像以上に大変だったと思う。
私の友人は未だにショックが癒えなくて病院通いしてるしね。
津波さえなければ・・・って・・・。

戦争の火種がどんどん増えている気がするね。。
Commented by jiroemon0310 at 2015-01-18 00:45
カノママさんへ
こんばんはー!嫁ちゃんです♪
一眠りして目が覚めました(^_^;)
1月17日は亡き父の誕生日だったので震災の日と共に絶対忘れません(-_-;)

カノママさんは色んなことがあったんですね!!
地震の記憶は忘れようとしても脳裏の奥に恐怖が刻まれていて((((;゜Д゜)))
カノママさんは息子さんもいらっしゃるんですね(^o^)v
お子さんは兄、妹のお二人ですか?
Commented at 2015-01-18 01:53
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Commented by canomama at 2015-01-18 09:17
♪嫁ちゃん♪
おお!私はこの時間から眠りに就きましたよ^^
震災は皆さん夫々想いがいっぱいあるよね。
揺れは今も広範囲であるし、安心は出来ないね^^;


♪鍵コメさん♪
そちらに行きま~す
Commented at 2015-01-18 10:03
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Commented at 2015-01-18 10:11
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Commented by pinochiko at 2015-01-18 16:57
いろんなことがあったてんこ盛りの1995年だったのですね。
私の一番の友人が神戸出身で、彼女の義理のお兄さんがくも膜下出血で急逝し(まだ赤ちゃんが生まれたばかりだったの)、
そのお葬式のために彼女は神戸に戻っていました。お葬式は震災の前日。
自宅で葬儀を行ったため、家具なども全部動かしてがらんとした部屋で家族みんなで寝ている時に
あの揺れがきたそうです。
偶然にも何もない状態の部屋だったので、だれも怪我をすることがなかったとか。
他の部屋はもう無茶苦茶だったのに。
当時は携帯電話もパソコンも一般的じゃなかったですよね。
この20年で情報網は大きく変わりましたね。でも自分自身は・・・?
Commented by canomama at 2015-01-18 22:26
♪pinochikoさん♪
うわあ!その赤ちゃんはハタチ、成人式だったんですね。
地震の直接の被害ではないにしても、
そんなに身近で悲しいことがあったのですね。
そのお兄さんがみんなを守ってくれたのかな?

ほんとにこの20年の劇的な変化は驚きますね。
内面はちっとも変わらずアップアップしています(^^ゞ

Commented at 2015-01-19 12:26
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Commented at 2015-01-19 12:29
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by canomama | 2015-01-17 19:15 | 雑感 | Comments(13)

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